今日のスポットライトはNHK連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインの親友・田村宜(のぶちゃん)役を演じ、一躍脚光を浴びた吉岡里帆さん。
実写映画化の『ハケンアニメ!』(2022年5月公開)では主役として登場します。
数多くのドラマや映画、CMに出演し男女問わず可愛い!と大人気女優の吉岡里帆さんの生い立ちや学歴に迫ってみたいと思います。
目次
吉岡里帆のプロフィール
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- 名前:吉岡 里帆(よしおか りほ)
- 生年月日:1993年1月15日
- 出生地:京都府京都市右京区
- 身長: 158 ㎝
- 血液型:B型
- 事務所:株式会社エー・チーム
吉岡里帆さんは高校3年の時にアルバイト先で人手が足りないからと頼まれて映画『天地明察』にエキストラとして出演したことが、女優になる大きなきっかけとなります。
エキストラの仕事で知り合った仲間に誘われ自主映画や小演劇作品に参加したことで、芝居への興味が一気にわき出した。
俳優養成所にも通い始めましたが事務所入りを自ら目指し、社長に直談判して2012年末に所属しました。
そしてついに2013年に芸能界デビューし、デビュー作品は、Rhythmic Toy Worldの『描いた日々に』のPVでした。
2014年には『週刊プレイボーイ』にて初めてグラビアに進出したり、チャットモンチーのMV(『いたちごっこ』に出演したことがきっかけで知名度が大きく伸びました。
アルバイトを4つ掛け持ちして資金を貯め、2015年に上京し「マンゴーと赤い車椅子」「幕が上がる」「明烏」と映画3本に立て続けに出演しました。
2016年はついに転機となるNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」後半戦で重要キャラクターを演じる役で出演。
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この朝ドラ出演を皮切りにドラマ『ゆとりですがなにか』では連続ドラマ初レギュラーとなり、続けて『死幣-DEATH CASH-』、『メディカルチーム レディ・ダ・ヴィンチの診断』、『カルテット』まで4期連続でレギュラー出演しました。
2017年には『カルテット』での怪演が話題を呼びコンフィデンスアワード・ドラマ賞、ザテレビジョンドラマアカデミー賞を受賞しました。
2018年にはドラマ『きみが心に棲みついた』で連続ドラマ初主演を飾り、2月放送の『眠狂四郎 The Final』では念願だった時代劇に初挑戦となりました。
2020年の第43回日本アカデミー賞授賞式では「見えない目撃者」と「パラレルワールド・ラブストーリー」の2作品で、『新人俳優賞』を受賞しました。
【日本アカデミー賞】新人俳優賞に横浜流星が「これからも素敵な心に残る作品を」https://t.co/it7TUoXTPU
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— 映画ナタリー (@eiga_natalie) March 6, 2020
2021年にはドラマ『レンアイ漫画家』でもヒロインを演じたり、『関西演劇祭2021』の表彰式に実行委員長として出席しました。
吉岡里帆の家族構成や生い立ち
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- 父親:映像会社を経営するカメラマン
- 母親:アパレル関係の仕事
- 弟:3歳年下
お父様とのエピソード
お父様は映像会社を経営するカメラマンだったので、吉岡里帆さんは幼少期から舞台や映画に触れながら育ったそうです。
お父様が愛した日本映画に触れる日々が、吉岡里帆さんにとって自然に異世界への憧れを作ったきっかけとなります。
カメラマンをしているお父様はよく写真を撮ってくれたそうです。
またアーティスティックな写真集とか名画と呼ばれる映画、そして舞台などをたくさん見せてくれたり、小さい時からプレゼントとして小説とか映画をよく与えてくれたりした素敵なお父様だったことからも、今の吉岡里帆さんの演技に大きな影響を与えていると考えられますね。
お母様とのエピソード
お母様はお体が弱かったそうです。
吉岡里帆さんは子どもながら「母親を守らなければいけない」と感じていて、家族みんなで支えていました。
インタビューでは、
「自分の人生のテーマの一つとして、関わった人たちを守れるような人になりたい。その最初、子供時代から守らなければいけないのは母でした。今でも強さをくれるのは私を頼ってくれる母の存在です」
と語っています。
またお母様は昔ブティックで働いくほどお洋服が好きで、家の中のクローゼットはお洋服だらけだったそうです。
このことがきっかけで、吉岡里帆さんも洋服にも興味をもち始めました。
弟のエピソード
3歳年下の弟さんは、地元の京都でフレンチレストランで料理人の見習いをしていたそうです。
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吉岡里帆さんは2016年に弟さんが働いているレストランへ行ったことを投稿しています。
弟さんを応援して優しいお姉さんですね。
しかしその後2018年ごろから靴職人になるため靴職人の花田優一さんに弟子入りをしたそうです。
「東京で大活躍している里帆さんの姿を見て、Tくんも自分の力を東京で試してみたいと、考えるようになったようです。Tくんを花田優一さんに紹介したのは里帆さんだと聞いています。ただ里帆さんはTくんが靴職人を目指すことには反対していました」
東京での活躍を夢見て靴職人になることを決意した吉岡里帆さんの弟は、クレーム対応という大変な仕事ばかりだったようで3ヶ月という短い期間で靴職人の道を断念することになりました。
現在はどのようなお仕事に就いているか分かりませんが、弟想いの吉岡里帆さんも温かく見守っていると思います。
吉岡里帆の学歴
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- 小学校:京都市立広沢小学校
- 中学校:京都市立嵯峨中学校
- 高校:京都府立嵯峨野高等学校
- 大学:京都橘大学文学部日本語日本文学科書道コース・関東の大学へ3年生で編入
書道を始めた小学校時代
京都の太秦生まれの吉岡里帆さんは、幼い頃に東映太秦映画村へ頻繁に遊びに行っていたそうです。
またご両親の影響もあり南座で歌舞伎や日本舞踊や古典に触れる機会を作ってもらえていたようで、色々な日本文化に触れてきたことも今の吉岡里帆さんの演技につながっているのでしょうね。
小学校2年生のときからは友達に誘われて書道を習っています。
吉岡里帆ちゃんライブ書道、最高しかない #スタパ #NHK #吉岡里帆 pic.twitter.com/Iflztu4MY6
— 発芽豆 (@mamenoji) January 18, 2017
吉岡里帆さんの書道の腕前は八段です。
吹奏楽部と書道に夢中だった中学校時代
中学の部活は書道部ではなく、吹奏楽部に所属していてアルトサックス担当でした。
吉岡里帆さんが吹奏楽部に入部したのは、映画『スウィングガールズ』の影響だったそうです。
娘の中学校のテニス部の顧問の先生が京都出身の吉岡里帆さんが昔、教え子だったと自慢されてたらしい。 pic.twitter.com/az9pwLfPAX
— RS山影 (@yamakageRS) January 26, 2017
中学時代も小学校時代から始めた書道に打ち込み、書道家を目指すほど真剣に向き合っていました。
バイトに夢中になった高校時代
吉岡里帆さんは京都府立嵯峨野高等学校に進学しました。京都府の中でも超難関校として有名な進学校です。
部活動ではなく、大学生になったら何か大きなことをしようと思ってお金を貯めるためアルバイトを頑張っていたそうです。
このアルバイトがきっかけで、高校3年生の時に映画のエキストラに出ないかと誘われます。その映画とは「天地明察」という作品で、江戸時代の設定で町娘として映像に残されています。
デビュー前の吉岡里帆ちゃんとエキストラ共演してた pic.twitter.com/v9PPyMBz7X
— よちゆき (@koMAFU321) September 22, 2016
高校生活では朝早く登校し漢字や英単語を覚えたり、下校時も「発展コース」という放課後に残って勉強するコースを取ったりして、学業にも力を入れていました。
吉岡里帆さんは引き続き書道家を目指していましたが、エキストラをした時に知り合った友達の誘いで同志社大学の劇団『小劇場』が上演していた『銀ちゃんが逝く』を見て心を打たれ、女優への道を駆け出し始めるのでした。
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夢を追いかけた大学時代
吉岡里帆さんは書道家も通うような専門的な学校を選び、京都橘大学文学部日本語日本文学科書道コースに進学しました。
しかし女優への夢が膨れ上がった吉岡里帆さんは、養成所の費用と東京に通う交通費のためにカフェ、居酒屋の厨房、派遣の仕事、歯科助手、ホテルのサービスなど最大で4つも同時にアルバイトを掛け持ちし、費用を稼いでいました。
ご両親は吉岡里帆さんは書の道に進むのだと思っていたため、東京の養成所に通うときは友達の家に泊まると伝え夜行バスで往復して下積み時代を過ごしました。
アルバイトで資金を貯め、2015年6月に京都の大学から東京の大学に編入し東京で暮らし始めます。
すぐに未来へ前進できるかと思って希望に満ち溢れ上京しましたが、オーディションを受けては落ちるの繰り返しで、なかなか仕事が決まらず、自分には魅力がないのか、夢を見すぎているのかと落ち込んだ時期もあったそうです。
そうした苦労がありようやく2016年に朝ドラの『あさが来た』の出演をつかみ、その後は数多くのCMやドラマ、映画で大活躍しました。
まとめ
CMやドラマ、バラエティー番組でも大活躍の吉岡里帆さんですが、もともとは書道家を目指していて女優になったのは大学時代でした。
女優さんとしては少し遅めのスタートでしたが、幼少期からご家族の影響で様々な作品に触れてきたことから、幅広い役柄を見事にこなす実力派女優として花が咲きました。
これからも様々な役柄に挑戦し、素敵な女優さんとして益々活躍されていくここと思います。